メールマガジンとっとり雑学本舗


第391号(2004年07月27日)「とっとり豆知識」より

 ●因幡の白兎伝説ゆかりの地

 古事記に記される因幡の白兎の神話は、大国主命(その時は大穴牟遅神
(オオナムチノカミ))が毛皮をはがされたウサギを見つけ、話を聞いて
いくところから話が進展していきます。

 淤岐(おき)島にいたウサギは気多(ケタ)の前(サキ)に渡ろうと、
海の和邇(ワニ)をだましました。

 「私とお前と競争して、どちらの一族が多いかを数えようではないか。
自分の同族をありったけ連れてきて、一列に並び伏していなさい。私はそ
の上を跳んで数えて渡ろう」というウサギの話に欺かれて和邇たちは気多
の前まで一列に並びます。

 その上を踏んで渡ったウサギは下りる前に「お前は私に欺かれたのだぞ」
と言ってしまったため、一瞬のうちに最後の和邇に捕まえられ、毛皮をは
がされてしまいました。

 ウサギが泣き悲しんでいると、先に来た多数の神々が、「海水を浴びて
風に当たって伏せっていろ」と言うので、そのとおりしたところ、ウサギ
の体は傷だらけになってしまいました。

 それを聞いたオオナムチノカミは「それはいけない。今すぐあの川口に
行って、淡水で体を洗って、その川口に生えている蒲黄(がま)の花粉を
取って、敷き散らして、その上に転がり回ったなら、お前の体はきっと治
るだろう」と指示し、そのとおりにしたウサギの体はもとに戻りました。

 気多の前は鳥取市の白兎(はくと)海岸とされ、白兎海岸の沖には淤岐
ノ島(おきのしま)もあります。淤岐ノ島は鳥居があり、兎の形に見えま
す。

 また近くの白兎神社には、ウサギが体を洗ったとする不増不減の池があ
ります。大国主命がウサギに施したのは日本初の医療という話もあり、白
兎神社は皮膚病や火傷にご利益があるとされています。

 この他にも、鳥取県には、大国主命のゆかりの地が登場します。古事記
を読むと、これと合わせて大国主命が大きな袋を肩にかけ、因幡(当時は
稲葉)の国にやってきた理由もわかってきます。

 オオナムチノカミには八十神(やそがみ)とよばれるたくさんの兄弟神
がいました。この八十神は、稲葉の国のヤカミヒメと結婚したいとこぞっ
て、稲葉の国を訪れたのです。ウサギに海水を浴びろと言ったのはこの八
十神です。

 そのとき大穴牟遅神は従者のように連れて行かれました。袋の中味は八
十神の荷物。大きな袋を肩にかけて遅れたことで、泣いているウサギと出
会うのです。

 ヤカミヒメ(八上比売)を祀る神社が県東部の河原町曳田にあり、売沼
(めぬま)神社といいます。神社の近くには嶽(だけ)古墳という前方後
円墳があり、八上比売の墓と伝えられています。

 さて助けてもらったウサギはオオナムチノカミに「この多数の神々は、
きっとヤカミヒメを得ることはできないでしょう。兄神たちから袋を負わ
されていても、あなたがヤカミヒメと一緒になるでしょう。」と予言しま
す。

 はたしてヤカミヒメは求婚した八十神に「私はオオナムチノカミと結婚
しようと思います」と宣言します。このままハッピーエンドかと思いきや、
他人の恋路に横やりを入れるものはいつの時代にもいるようです。憤った
八十神は共謀して、オオナムチノカミを陥れようと考えました。

 オオナムチノカミを伯耆の国の手間(県西部の会見町天万)の山の麓に
誘い、「この山には赤い猪がいる。我々が追い下すから、山の下で待ち受
けて捕まえろ」と言って、火で焼いた大きな石を転がし落としたのです。

 だまされて岩を受け止めたオオナムチノカミは死んでしまいました。こ
れを悲しんだ母、サシクニワカヒメの努力によりオオナムチノカミは復活
します。

 手間山の山頂には大国主命を祀った神社があり、現在は会見町寺内に移
っています。赤猪岩(あかいわ)神社といい、境内には八十神が落とした
大岩(赤猪岩)が残っています。また近くの西伯町清水川には、大国主命
を蘇らせた清水井があります。米子市大袋は、大国主命が肩にかけていた
袋をおいた所と伝えられています。

 復活したオオナムチノカミはこの後も、八十神の迫害を受けます。神話
の舞台は、因幡・伯耆から木の国(紀伊の国)、根の堅州国(島根県出雲
地方)に変わっていきます。

 ちなみに、ヤカミヒメはこの後、オオナムチノカミと結婚しますが、実
はオオナムチノカミは先に根の国でスセリビメと結婚していて、結局、稲
葉の国に帰ってしまいます。現代の感覚ですと、なんでやねんと突っ込み
を入れたくなるような結末です。
                             (SF)