●陶彫の世界を形成した辻晉堂
陶彫という言葉を最初に聞いた時、私は陶器を彫刻刀で彫っている光景
を想い浮かべてしまいましたが、それは迂闊の一語。陶彫とは陶土を使っ
て彫刻作品をつくることで、窯での火入れはその後になります。
鳥取県出身の彫刻家・辻晉堂(つじしんどう)は、この陶彫により独自
の彫刻世界を形成しました。
辻晉堂は1910(明治43)年、日野郡二部村二部(にぶ、現在の西
伯郡伯耆町)の農家に生まれました。二部小学校の高等科を卒業し、大工
の弟子になった後は建築の仕事に従事しながらも、次第に彫刻の才能を発
揮します。
その後21才で上京、デッサンを学びながら、独学で彫刻を研究します。
2年後には「千家元磨氏像」が日本美術展に初入選、彫刻家としての道に
専念します。
「イマヤラネバイツデキル、オレガヤラネバダレガヤル」と自警の句を
アトリエに貼り付け、辻は研鑽を積み、その作品は次々に入選を果たしま
す。その頃の作品は木彫で、1942(昭和17)年の日本美術展に出品
した「詩人(大伴家持試作)」では日本美術院賞第一賞を受賞、最年少で
同美術院の同人となりました。
木彫界の巨匠・平櫛田中には「辻をおいて他に期待すべき木彫人はいな
い」と賞賛された辻ではありましたが、時は太平洋戦争真っ只中、郷里に
疎開して活動を続けることになります。
戦後の辻は京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)の教授と
なります。京都に移った辻は、写実的な作風から離れ、抽象的な彫刻をつ
くるようになります。見える姿や形を描写することから、自分の中にでき
たイメージを作品に反映させるよう変わっていったのです。
早くから禅の思想に関心を持っていた辻は、1938(昭和13)年、
得度し、晉堂と改名します。禅の指導をした岸沢惟安は辻に「忘れるだけ
忘れてしまって、そして残ったものを表せ」と教えました。辻の作風の変
化は、この教えの影響も大きかったようです。
材料も木からセメントや鉄板を使うようになり、作風も抽象性を濃くし
ていきました。昭和30年頃からは陶彫を始めるようになります。
京都といえば焼物が盛んで、よい土、窯元に恵まれた所、辻はこの地で
陶彫という独自の世界を築きました。1958(昭和33)年、辻の陶彫
の作品「沈黙」「寒山」「蛙」などがヴェネツィア・ビエンナーレ展に出
品され、これが高く評価されます。これと前後して、サンパウロ・ヴィエ
ンナーレといった国内外での美術展でも陶彫の独創的な美は賞賛され、辻
は国際的な名声を博すことになります。
辻の陶彫は、親しみのある表情の作品もあります。1974(昭和49)
年、個展に出品した「カラカサのオバケ」などはとてもユーモラスな表情
をしています。晩年はこのような感じの作品が多くあります。
辻は1977(昭和52)年に京都市文化功労者に選ばれた後、198
1(昭和56)年に71歳で逝去しました。
鳥取県では彼の業績がよく知られていないことから、9月10日、米子
コンベンションセンターで「郷土が生んだ現代彫刻の異才・辻晉堂」と題
し、フォーラムを開催します。また9月12日までは米子市美術館で辻晉
堂展を開催しています。ぜひお出かけください。
(J)
○地域自立戦略課「郷土が生んだ現代彫刻の異才・辻晉堂」
http://www.pref.tottori.jp/kikakubu/jiritu/H17kenminnohiforum/