●Re:鳥取砂丘の素朴な疑問
当本舗第650号で、編集部員GUより、鳥取砂丘の「南北2キロメー
トル、最大高低差92メートル」というのがいったい砂丘のどの辺りなの
か紹介がありました。最大幅は現在の鳥取大学周辺、最高地点は「鳥取砂
丘こどもの国」の後背丘陵地辺りではないかと推察されていますが、文献
にも明確な記述がなく、スッキリとした「疑問解決」には至らなかったと
いうことです。
そこで、鳥取砂丘の成り立ちなども踏まえながら、鳥取砂丘の最大幅と
最大高低差について、改めて考えてみたいと思います。
まず、最大高低差について。観光で鳥取砂丘を訪れたみなさんが砂丘の
最高地点として思い浮かべるのは、おそらく通称「馬の背」と呼ばれる第
二砂丘列ではないでしょうか。晴れて砂がサラサラのときなど、登るだけ
で息が切れてしまう鳥取砂丘ならではの観光名所ですが、この「馬の背」
の高さはというと、実は40数メートルほどです。
最高地点92メートルというのは、そのほぼ倍に当たる高さ。そんなに
高い砂の丘は、周りを見回しても見当たりませんね。
そこで注目してほしいのが、リフト乗り場や展望台のある砂丘センター
周辺の高台。そして、砂丘の中心地を挟んで西側の、「鳥取砂丘こどもの
国」や鳥取ゴルフ倶楽部のクラブハウスがある高台です。
実際に地形図で高さを調べてみると、鳥取ゴルフ倶楽部のクラブハウス
周辺が約90メートル、砂丘センター周辺が約80メートル。これらが鳥
取砂丘の最高(と2番目の高さの)地点に当たることが確認できます。
でも...。そう感じたかたもきっといらっしゃるでしょう。「どっち
も木に覆われているし地面は土なのに、それでも砂丘なの?」と。では、
その辺りの事情を考えるため、鳥取砂丘の成り立ちを振り返ってみたいと
思います。キーワードは、「大山の火山灰層」と「新砂丘」、そして「古
砂丘」です。
鳥取砂丘を歩くと、ところどころで砂の下から赤土が露出しているのが
分かります。はじめて見られたかたは、「砂がなくなって大地が出てきて
いる」と思われたかもしれませんが、これは10数万年前から数千年前ま
で数回にわたって降り注いだ火山灰土。大きく4層に分かれていて、4万
5〜7千年前ごろに大噴火を起こした大山の火山灰がその中心となってい
ます。
そして、鳥取砂丘はこの火山灰層を境に上部の「新砂丘」と下部の「古
砂丘」に分かれています。目の前に広がる砂丘(新砂丘)だけでなく、赤
土の層の下にも大規模な砂丘(古砂丘)が横たわっているのです。
砂丘センターの建つ小山や砂丘西側に広がる小山についても同様で、表
面の緑や土(火山灰層)の下には膨大な量の砂がつまっています。これら
の高台の下には小高い岩盤がありますが、10万年以上前に日本海の波と
北風によって打ち寄せられた砂が、その岩盤に止められ長い年月をかけて
上方に伸びていったのだそうです。
一般に、砂丘センターの展望室や鳥取ゴルフ倶楽部のクラブハウスから
砂丘を展望されるかたは、砂丘を外から眺めているというイメージを持っ
ておられるかもしれません。「鳥取砂丘って案外小さいんだなあ」なんて
感じながら。でも、今自分が立っている山自体が砂丘なんだということを
意識していただいたら、鳥取砂丘の本当の雄大さを実感できるのではない
かと思います。
ちなみに、最大高低差の92メートルという数字ですが、これは明治か
ら昭和の中ごろまでに発行された地形図(大日本帝國陸地測量部、建設省
国土地理院)に載っている数字です。そのため、昭和30年代以前に発行
された砂丘関係の書物には、よく92メートルという記載が出てきます。
どうやら、この辺りが出自になっているのではないかと思われます。(な
お、現在の地形図では、新たに三角点が設置され、高度も94.8メート
ルという実測値に変更されています)。
最後に砂丘の最大幅についても簡単に紹介します。南北の幅が一番大き
いのは千代川の西側に広がる湖山砂丘で、その中でも最も南に位置するの
が鳥取大学や鳥取商業高校、湖山小学校などのある湖山池北東岸です(海
岸線から2キロメートル強)。
こちらも大山の火山灰層に覆われ、開発も進んでいるため、砂丘という
実感はなかなか湧きづらいのですが、辺り全体が20〜30メートルぐら
いの丘になっているのは、10数万年前に発達した古砂丘が地面の下に広
がっているからなのだそうです。
(AK)
○とっとり雑学本舗第650号「鳥取砂丘の素朴な疑問」
http://www.pref.tottori.jp/kouhou/mlmg/topics/650_2.htm