●初代国連大使、澤田廉三と美喜の時代
今日10月17日は、日本初の国連大使 澤田廉三(さわだれんぞう)
が明治21年に鳥取県岩井郡浦富村(現岩美町浦富)で生まれた日です。
そして今日から、公文書館で特別展「澤田廉三と美喜の時代」が開催され
ます。
澤田廉三は、鳥取中学(現鳥取西高等学校)、第一高等学校を経て東京
帝国大学法科大学フランス法律科に進学し、成績優秀で卒業後の大正3年、
外交官試験に首席で合格します。
外務省入省後、数々の国際会議に出席して活躍する中、三菱財閥3代目
岩崎久弥(いわさきひさや)の長女美喜(みき)と結婚。アルゼンチン、
中国、イギリス、フランス、アメリカ等の諸外国に赴任しました。
戦時中には初代ビルマ大使と外務次官を歴任。これは外交官の先輩で当
時の外相、重光葵(しげみつまもる)の要請によるものとされています。
戦後、一時期公職を追放されますが、吉田茂首相から国際連合加盟とい
う重要な任務を命じられた廉三は、昭和28年に初代国連大使に任命され、
渡米します。当時の日本は、ソ連の拒否権発動により国際連合への正式加
盟が認められていませんでした。このため、廉三は諸外国とのロビー外交
や水面下での接触を行います。
趣味の俳句を日記に近い形で詠み、生涯に1万数千もの句を残した廉三
ですが、この時期は一句も作られることがありませんでした。国連加盟の
ために全精力を注いでいたことが伝わってきます。廉三が大使を辞した直
後の昭和31年、日本は国連加盟を果たします。
一方、妻の美喜は昭和23年に神奈川県でエリザベスサンダースホーム
を創立します。ここで占領軍兵士と日本人女性との間に生まれた混血児の
保護・養育に生涯を捧げました。戦中の混乱期を除いて廉三の赴任に常に
同行していた美喜が、在英時代にボランティアとして関わった孤児院で感
銘を受けたことが、ホーム創立のきっかけとなったと言われています。
戦後間もない日本では孤児に対する偏見や差別が強く、ホームの経営に
苦労したようですが、美喜は外交官夫人時代に築いた人脈や持ち前のねば
り強さで困難を克服します。エリザベスサンダースホームからは約2千人
もの孤児たちが巣立ちました。
今回の特別展を行う公文書館の清水太郎さんに、見どころをうかがいま
した。「多くの写真のほか、今回の調査で新たに発見された廉三の手紙を
展示しています。手紙の内容から当時の日本の動きや外交官澤田廉三がど
のような人脈の中にいたのかを知ることができます。また、華やかな外交
官としての活躍だけでなく、『鳥取県人 澤田廉三』も見ていただきたい
ですね。」
この手紙とはサンダースホームの建物に保管されていたもので、太平洋
戦争さなか、外務次官を務めていた廉三が、浦富に疎開していた美喜に宛
てたものです。戦争終結をほのめかすものや、当時の外相重光葵と緊密に
連絡を取りながら活動していた様子を伝えるものがあります。
また、特別展では、廉三の県政顧問としての活躍を「廉三と郷土」コー
ナーで紹介しています。国連大使を退いた後、廉三の最晩年の公務は石破
二朗知事のもとで昭和40年に就任した県政顧問の職でした。豊富な経験
をもとに観光政策、インフラ整備、教育問題など幅広い分野に渡って建設
的な意見を出し、昭和45年に県政顧問在職のまま亡くなりました。
廉三が故郷を思う気持ちはたいへん篤く、忙しい現役時代もできる限り
帰省していました。浦富の熊井浜に「鴎鳴荘(おうめいそう)」という名
の別荘を建て、しばしば利用したほか、美喜も戦後、ホームの臨海学校で
毎年のようにこの別荘にホームの子ども達を連れてやってきました。国連
大使という遠い存在の澤田廉三夫妻が、なんだかぐっと身近に感じられま
す。
激動の時代に世界を舞台に活躍した廉三と美喜、鳥取県をこよなく愛し
た二人は今、浦富の海が見える小高い丘の墓地に静かに眠っています。
(NM)
○平成20年度鳥取県立公文書館特別展
「澤田廉三と美喜の時代−鳥取県が生んだ偉大な外交官の足跡−」
会期:10月17日(金)〜11月23日(日)
場所:鳥取県立公文書館(鳥取市尚徳町)
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=94087
<巡回展>
会期:平成20年11月29日(土)〜12月21日(日)
場所:岩美町中央公民館(岩美郡岩美町浦富)
<記念講演会>
演題:昭和の外交官の系譜―澤田廉三の軌跡―
講師:酒井哲也氏(東京大学教養学部教授)
日時:11月8日(土)午後2時〜4時
場所:鳥取県立図書館(鳥取市尚徳町)